イースター島の興亡


モアイ像

シヴィライゼーション photo by Ndecam

イースター島は陸地から約2000キロ離れた絶海の孤島で、
ポリネシア系の島民が移住してきたのは5世紀頃でした。
森に覆われた緑の島でしたが、
土壌は痩せ気味で穀物が育ちにくい土地でした。
それでも島民は、サツマイモと鶏を育てる食文化を築きました。

食えるので余剰時間がありました。
島民は、もっぱらお祭り(宗教的祭祀)をやっていました。
食えるので戦争はありませんでした。
食う・寝る・お祭りの平和な時代です。

火山島なので大きな石が沢山ありまして、
しかも余剰時間がありましたから、
これを削って石像を掘りあげてみました。
部族の守り神モアイ像の登場です。
「やべえ、この守り神超カッコイイじゃん……(キュン)」
島民は熱中する仕事を見つけました。

モアイ像作りはどんどん過熱しました。
色々なデザインのモアイ像が生まれて、
時代と共に流行り廃りもありました。
最大のモアイ像で、高さ7.8m、重さ80t。
匠の技と島民の情熱の結晶でした。
モアイ像ブームは約800年続きました。

その間、平和な島はどんどん繁栄していて、
人口も増えていたのです。
現代のイースター島は3,791人(2005年)が住んでいますが、
16世紀頃には人口が7,000人(1説には1万人以上)に達しました。
……外部からの流通が無く孤立した世界で。

モアイ像を作るために木材が必要だったので、800年掛けて森を伐採しました。
人口が増えたので、薪や建築資材のために森を伐採しました。
やがて森が滅ぼて、イースター島は草原の島になりました。
森が無くなったので、栄養のある土壌が雨に流されました。
作物が育たなくなり、増えすぎた人口を支えられなくなりました。

ついに、部族間の抗争が始まりました!
「こいつはやべぇぞ、新天地を探そうじゃないか」
と一部の島民は思いましたが、
森も樹も無くなったので、船が作れませんでした。
脱出不可、絶海の孤島でのバトルロワイヤル。

モアイ像は守り神なので、
その目にはマナ(霊力)が宿ると信じられていました。
なので、部族間の抗争ではまず、敵部族のモアイ像を引き倒して、
目の部分を破壊する必要がありました。
戦争と共にモアイ像破壊ブームは約50年続いて、
800年掛けて築いた文化を破壊していきました。

1774年にクック船長がイースター島を訪れると、
島の人口は600人程度に減っていました。
文明は後退して、島民は原始人のような生活を送っていました。
でも、島民はまだ戦争をしていました。

1862年以降、奴隷商人がやってきて、島民をペルーに連行しました。
そして1877年頃には、島に居るのは老人と子供だけの、
わずか100人程に減っていました。
島には、平和な時代の面影である「作りかけのモアイ像」が
約300体残されていました。
おわり。

(‘-’)

文明の興亡を企業活動に当てはめるのが適切かどうかの判断は、
あなたにお任せします。
何かしら、拾える教訓があるのなら、今日紹介した意味がありますけどね。
今日の記事は↓のBGMを聴きながら書きましたよ。



http://youtu.be/IJiHDmyhE1A

(‘o’)

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